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仙台地方裁判所 昭和31年(ワ)8号 判決

主文

被告は原告に対し金一〇万円およびこれに対する昭和三一年一月一四日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用は被告の負担とする。

この判決は、原告勝訴の部分に限り、原告が金二万円の担保を供するときは仮に執行することができる。

事実

(省略)

理由

原告(大正一〇年一月四日生れ)、被告(昭和二年二月三日生れ)は、ともに仙台地方簡易保険局に勤務し、交際を重ねるうち、昭和二八年八月ころから肉体関係を生じ、昭和二九年四月一九日酒宴を張つて夫婦の契りをし爾来同棲して来たことは当事者間に争いがなく、かかる事実から見れば、遅くとも昭和二九年四月一九日原、被告間において婚姻の予約が成立したものというべく、しかして、右予約が竟に履行不能に陥つたことについては当事者間に争いがない。

そこで被告に婚姻予約不履行の責任があるかどうかにつき判断するに、証人瀬戸義春、安斎あい、岩間さく、竹内正志、高田志づ江の各証言並びに原、被告各本人尋問の結果を綜合すれば、次の事実を認めることができる。

(一)、原告は、被告と同棲する以前から、同人の粗暴な性格を風評で知り、交際中もしばしば些細なことで殴打されたこともあつたが、同人の情熱に動かされ、結婚すれば、被告も自省しその性癖を改め夫婦生活も円満に行くであろうと信じ、母、弟の反対を押し切つて、仙台市荒町一八二番地に五畳半一室を一ケ月金二、五〇〇円で借り受け、同棲し、夫婦共かせぎの生活を始めた。

(二)、同棲後一週間位はたいした風波もなく過ごしたが、そのうちに被告は、食事がまずいなどと文句を言い初め、原告の髪の結い方が気に入らぬ、とか、服装が悪いなどと些細なことから、原告に対し、味噌汁をぶつかけたり、蹴る、殴る等の暴行を加えるようになり、果ては気に入らぬことがあると、家の内外、人目をはばからず暴言を吐き暴力を振るい、時には、靴若しくは下駄ばきのまま蹴る殴るの行為に出、そのため原告は、耳が聞こえなくなつたり、鼻血を出したり、唇を切つたりするなど身体に外傷を受けることが多くなつた。原告は、たび重なる被告の暴行におびえ、極度の恐怖心から、口答一つ出来ないようになり、そのため被告の反省を促そうとして、無断で、生家へ逃げ帰つたことも二、三度あつた程である。

(三)、同棲中原、被告とも従前どおり勤務していたが、被告は、原告が被告の月俸約金一万円を上まわる月俸約金一万八千円を得、貯金もあることなどから、同棲した月は金四千円程家計に入れたが、その後は月々金二、三千円しか入れず、原告はこれに対し不満を感じながらも自己の給料や貯金を犠牲にして家計をやりくりして来た。たまたま被告は、同年八月原告に対し、「手前なんか金が無かつたら相手にしなかつたんだぞ。」と暴言したことから、原告は、同棲前同僚からその趣旨のことを聞き忠告を受けていたこともあつたから、二人の将来に大きな不安をいだき、前記暴行と相まつて被告の反省を促すため、一時生家に戻つたこともあつた。

(四)、しかるに被告の暴言暴行は日ごとにつのり、三、四日おきにこれを繰り返す程になつた。そして同年八月一三日朝被告が原告に暴行しているのを家主訴外岩間さくに制止されるや、逆に右仲裁人に腕をまくり上げて暴言をはいたため、岩間さくから、「こんな有様では隣近所に迷惑がかかるから部屋を明けてくれ。」と言い渡されてしまつた。原告は、被告の暴行に極度の恐怖心をいだき且つ同棲生活に身心とも疲れきつていたので、これを機会に一時別居して被告の反省を求めようと決意し、同月三一日被告に無断で、他に間借し引越したところ、被告も翌日追いかけて来て再び同所で同棲を始めた。ところが原告の母、弟などが、原告を被告のもとに置いては殺害されるかも知れない、と心配し、その二、三日後原、被告を離別させるべく同所を訪れ、原告を追い出し、遂に原、被告は別居するに至つたものである。

(五)、その後被告は、原告に対し同居を迫つたが原告が思い迷つているうちに、被告は同年暮ころから婚姻予約を破棄する意思をいだくようになり、今度は逆に原告から復縁を迫られるなどして、昭和三〇年一月まで肉体関係を続けて来たが、被告は、そのころから婚姻予約を履行する意思は全くなくなつたことが認められる。

証人高田志づ江の証言および被告本人の供述中、右認定に反する部分は採用し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

被告は、婚姻予約を破棄するについて正当の事由があると主張するので、判断するに、被告主張の(一)の事実につき、証人瀬戸義春並びに原、被告各本人の供述を綜合すれば、原告は、昭和二三年ころ仙台地方簡易保険局合唱団に入団し、被告と同棲後もこれを続けて来たが、被告の反対にあい、終業後練習のため残ることは殆どなかつたこと。原告は、昭和二九年六月妊娠し、被告から産むように云われていたけれども、同人の前記認定のような素行などを考え、また人一倍きれい好きな被告から、子を産んだため世帯じみたとして嫌悪される虞もあり、産後の生活費がかさむことなど、種々思いめぐらしたうえ、むしろ妊娠中絶をすべく決意し、前記(四)認定の別居後である同年一〇月、被告に無断で、妊娠中絶の処置をとつたが、これは被告主張の如く全国合唱コンクール参加のために行つたものでないことが認められる。原、被告本人の各供述中右認定に反する部分は採用し難い。次に被告主張の(二)の事実につき、原告が、被告に無断で生家に帰つたのも、前記(二)、(三)認定のとおりそれ相当の理由はあつたものというべく、しかして原告が、被告の母を慰めるなどの行為に出なかつたことは証人高田志づ江の供述により認められるけれども、この事実をもつて、婚姻予約破棄の正当事由とすることは到底無理である。被告主張の(三)、(五)、(七)、(九)の事実は、被告本人の供述を除いてはこれを認めるに足る証拠はなく、しかも右供述は、原告本人の供述と対照し直ちに信用し難く、同(四)の事実については、原、被告本人の各供述により、原告が、被告のワイシヤツを破つたことがあるけれども、前記(二)、(三)認定のようにその原因はむしろ被告の暴力にあり、これを阻止これから免れるために已むを得ずワイシヤツを掴んだところ、たまたま被告の武者振のためいささか破損したことが認められ、その余の主張事実は、前記(二)、(三)の認定事実に反し、いずれも採用の限りでない。被告主張の(六)の事実につき、原、被告が別居するに至つた事情は前記(四)認定のとおりであり、原告が、被告との結婚生活を維持助長する熱意のあつたことは原告本人の供述により明らかであり、この認定に反する被告本人の供述は信用し難く、他にこれを認めるに足る証拠はない。被告主張の(八)の事実につき、成立に争いのない乙第一ないし六号証の各一、二、証人今野善治、原、被告本人の各供述によれば、原告が、昭和三〇年一月ころ勤務局附近に間借し、被告に復縁を迫り、これを拒否されるや、被告の勤務する机の中のものを破棄したり、インクをかけたり、同人の私物を隠したりしたことなどが認められるけれども、原告のかかる行為は、前認定のように被告の過責によつて婚姻予約不履行に至つた後にもなお原告が被告の翻意を熱望し、あの手この手でこれを促してみたが被告が風馬牛却つてこれを冷視侮辱する態度に出たので、身の置所がなく、善からぬこととは知りながらも、遣る瀬なさに演じたいわば稚戯に類する悪戯に過ぎないことが右挙示の証拠によつて認められるから、これをもつて、婚姻予約破棄の正当事由となし難く、しかしてその余の事実は、被告本人の供述を除きこれを認めるに足る証拠はなく、右供述は、原告本人尋問の結果に照し信用し難い。

以上の事実によれば、原、被告が合意のうえ若しくは原告の責において、本件婚姻予約が破棄されたものとはいい難い。成程原告の肉親による妨害、原告の優柔不断な性格(この点は証人竹内正志、被告本人の各供述並びに弁論の全趣旨により認める。)および別居中であつたとはいえ被告に無断で妊娠中絶をしたことなどは本件婚姻予約の成否に多少の影響を及ぼしたとしても、それは微々たるものというべく、その大半は被告の責によつて本件婚姻予約が破棄されたものというべきである。したがつて被告は、この婚姻予約不履行に因り、原告のこうむつた精神的、物質的損害を賠償する義務がある。

被告は、原告が右損害賠償請求権を放棄したと主張するので、判断するに、証人安斎あいの証言によれば、原告が、昭和三〇年訴外安斎あい方を訪れた際、同人に対し、「何も要求することはありませんが、ただ、カメラをあずけておいたのでそれを取つてきて貰いたい。」旨の供述をしたことが認められるけれども、原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨に照すと、右供述の真意は、原告が、同居生活中に使用した原告所有の物件で被告が占有する物について原告が要求するものを指したものであつて、これをもつて損害賠償請求権までも放棄したものとは到底解されないし、他に右主張事実を肯認するに足る証拠はない。したがつて右主張は理由ない。

そこで損害額につき判断するに、原告の年齢、経歴、月収、被告の経歴についてはいずれも当事者間に争いがなく、証人竹内正志、原告本人の各供述を綜合すれば、原告は、兄一人弟二人の四人兄弟の中で育てられ、被告と婚姻予約をするまでは、同人の性格、勤務局の風評、肉親の反対などを考えこれを思い止まろうとしたことがあつたが、被告の情熱に動かされ、婚姻予約締結同棲後は、被告の反省を求め、愛情を捧げ、円満な夫婦生活を願つていたのに、その信頼を裏切られ、破鏡の憂目にあい、精神的打撃を受けて悲哀の生活を送つていることが認められる。他方、証人高田志づ江、被告本人の各供述を綜合すれば、被告は、母、姉一人妹二人の五人暮しで、海軍兵学校中退後昭和二一年末まで復員省に勤務し、その後昭和二二年五月訴外日新火災海上保険株式会社仙台支店に就職、昭和二五年五月同会社を退職、仙台地方簡易保険局に就職し、現在郵政事務員として本俸月額約一万円を得ていること。他に資産とてなく、被告の家族は、同人の収入および亡父の恩給年額約三万円により生活し、借家住いをしていることが認められる。以上の事実と、前記認定の諸事実殊に原告の性格、別居中であつたとはいえ被告に無断で妊娠中絶したことなどの事実を斟酌すると、原告も聊か軽卒のそしりは免れないが、いずれにせよ被告の責に帰すべき事由による婚姻予約不履行に因り、原告のこうむつた精神的苦痛は甚大であり、前記諸般の事情を斟酌したうえ、これを慰藉すべき額は金一〇万円をもつて相当であると認める。

次に原告の物質的損害につき判断するに、右損害が具体的に如何なるものであるかについては、原告の、当裁判所の釈明に応ぜざるところであるが、反面原告の全立証をもつてしても、原告が、本件婚姻予約不履行に因り、物質的損害をこうむつたことについては何等これを認めるに足る証拠はない。

よつて、被告は、原告に対し、金一〇万円およびこれに対する本件訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和三一年一月一四日から右完済に至るまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があるので、原告の本訴請求は右の限度において正当として認容し、その余は失当として、これを棄却し、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条、第九二条、仮執行の宣言については同法第一九六条を各適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 中川毅 佐藤幸太郎 金子仙太郎)

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